tataria’s blog

アニメ、ドラマ、映画などのおすすめから始まり不動産、金融、心の病気などの相談、解決方法など幅広くいろいろ情報をお伝えします、

ブログで伝えたいこと

今日はブログで何を伝えたいか。なぜそうしたいかの原点を書かせていただきます。

1 まず何を伝えていきたいのか?

今まで自分が生きてきて実際にしたこと起こったことを通して幸せになるために

成功するためにはどうしたらいいか。何に気を付けたらいいか、実際の失敗から学ぶ

感じですね。しなくていい失敗などをいろんなジャンル、職種別で、書かせていただこうと思います。

2 なぜそうしたいか?

それは私の嫁の母親ですが最悪の人で人の不幸は蜜の味と平気で言うので、怒ったことがあるのですが、嫁の母親だけではなく人は人の不幸を喜ぶ人が確かに多いような気がします。

あの日がこんな失敗したよ。フラれたんだって。落ちたらしいよ等、不幸な噂話はよく耳にする機会があるのですが、あの人がコクられたんだって、いい学校に受かったんやって、などいいことを聞くことはあまりなかったような気がします。

私にはなぜ、このようなことになるのかはわからない。だって人が幸せになったからって自分が不幸になるわけじゃないですか。逆にこんなことがあった。こんなこと言われたといいことや、嬉しいことを聞く方が同じ話聞くにしてもいいと思いませんか?

もし、そうは思わないという方もいると思います。人の不幸話が楽しいんやないかという、人もいると思いますが、これから書いていくことを読んでいただいて、考え方が変わってくれる人が1人でも増えると嬉しいです。みんなが幸せになれば、争い事とかなくなると思うし、何よりも嫌な話を聞かなくていいですからね。

3 なぜ、そう思うようになったか?それは生い立ちや今迄に出会ってきた人や運命の人のおかげです。その原点を書かせていただきます

生まれは大阪で3人兄弟でした。父親は正直バカでしたが、仕事はまじめな人でした。

母親は正直あまり私にとってはいい人ではありませんでした。一番しての弟をすごくかわいがっていました。

父親は長男だったこともありかわいがってくれましたが、真ん中の弟が病気になり、後数年の命(中学生にはなれません)といわれてから、いろいろ変わっていきました。

小学生の時の話でしたが、だんだん歩けなくなってきて、動きが遅くなってきて、それを見ていた周りの子供たちがいじめだして、そのことで何回も他の子とけんかになったり、あんまり人を信用しなくなっていたんだと思います。その時の学校の先生が特に私を心配してはすぐ、起こったり当時は竹で頭をたたいたりするのは当たり前の時代でよく怒られました。最初は立っとけ。次は後ろに立っとけ。次は廊下に立っとけ。で職員室の前で立っとけ。校長室の前で正座。最後は校庭でたっとけ。とうとう、先生にもう立つとこないぞと言われました。そして小学校卒業の一日前事件を起こして今いました。学校は後卒業式を残すだけなので、きれいに掃除をして、ワックスまでかけていたのですが、今日が小学校で遊べる最後日とばかりに何人かで鬼ごっこをしていたのですが、学校に入る入口でドアを開けるときワックスが聞いていたので滑りすぎて足から行ってしまい膝でワイヤー入りのガラスを割ってしまったのですが、そのまま逃げて遊びを続行したのですが、なんか靴下が生暖かいなと思い見てみると真っ赤になっていて、膝が割れていました。友達がすぐに先生を呼んだのですが、最後の最後まで面倒かけてと先生に殴られたのが痛くて、泣いたのを覚えています。実はけがはありにもひどすぎて麻痺していたみたいで痛くなかったのです。気が付かずに遊んでたくらいですから。

すぐに保健室に行って先生が見てくれたのですが多分ガラスは入っていないがひどいけがなのでとにかくすぐに病院といわれ、病院に行きました。お医者さんは子供がよくあのガラスを割ったなと笑っていましたが、先生は真顔でお医者さんに明日卒業式なんですが出れますかと聞いたら、足を曲げさえしなければいいということを言われて、ほっとしてくれました。結局32針縫うことになってしまいました。そしてィ故床尾前みたいに最後の最後まで怒らした奴はおらんはとほんとに心配やなといってくれました。そして卒業式の日先生が校長先生に頼んでくれて頼んでくれていたみたいで、卒業証書じよのとき、みんなは階段を上って取りに行くのですが私の場合は名前を読んだ後校長先生が下りてきて渡してくれました。それで無事卒業したのですが、今でもやはりその先生だけを特に覚えています。そして中学校を卒業して高校を1本にしぼって受験をし、受かったのですが、弟が死んでお金がないと言われ結局高校はあきらめたのですが、この時にもっと賢かったら学校に行く方法もあったのですが、その時はわからず、行かなかったのです。その時のことを思い出すと思うのが、無知は損、法律は知っているものの味方ということを思います。中学校卒業からご飯は食べさせてもらいましたがそのほかのことは、何も頼りませんでした。その時から誰も信じず自分だけを信じて生きてきました。そして、友達から高校いかなもったいないでと言われ、もう一度受験をし合格しました。でも親は頼りたくなかったので、定時制高校に行き働きながら頑張りました。やはり自分から行きたいと思っていったので、勉強も身に付き1番と取れるようになっていきました。でも、すでに少しぐれていたのですが、あまり面白いこともなく日々暮らしていたのですが、その時俳優という仕事に興味を持ち行動を起こしました。私の性格は興味を持つとすぐ実行に移ってしまいます。そして東京放映の大阪校の第一期生になってはじめました。それから市内のプロダクションの学校に入り大阪代表で合宿に行ったりしている間に、スカウトしてもらい東京に行くことになり、その時に本当に好きなことをするときは苦にならないことを知りました。

そしてもう少しでデビューといううときに一緒に住んでいたルームメートが実家に帰ると言い出し、東京は高すぎて一人ではすめないのであきらめて帰ってきましたが、これが運命だったみたいで、私を180°変える運命の人に会ったんですよ。会う時から、運命じみていて、お互い会った会場に行かないつもりだったんですよ。

嫁は会社の同僚が亡くなったので手伝いに行きますと言ったらしいのですが、今日は大丈夫らしいからいいよと言われ来たらしいのです。私は仕事がしんどくて、もうめんどくさいからいいかと思っていたのですが、風呂入って出たらなんか食うだけでも行こうかという気持ちになったので行きました。私はこの出会いを最後にもしだめなら、独身貴族でもいいやと思っていたのです。そして女の子が入ってきたのですがやはり、興味の持てる子がいなくて、やっぱり食べたら帰るかと思っていたら、最後に嫁が入ってきて後ろに後光のようなものが見えて一目ぼれでした。そこからも、運命のオンパレ^°でした。最初嫁は真ん中より私から向って右側にいたんですよね。私は一番左端にいたので、なんとかよ目の前に行きたいと思っていたら、うまいこと男と女性が分かれていたので司会者が男性女性交互に入りましょうかというのでその通りにすると、なんと、嫁の真ん前になったんですよ。運命だと思いませんか?それからいろいろとほかの人を交えて話をしていたのですが、嫁の電話番号を知りたくていろいろ試案をしてだめもとで、せっかくあったのも、何かの縁だからみんなでスキー旅行行かないですかというと、以外にもみんながいいよと言うので行くことになり連絡取りたいからと電話番号を知ることができたのでした。そして畳みかけたくて一緒に帰りたかったのですが、ほかに嫁に絡んでたのに先を越され行こうとしたら、ほかの子に人の恋路を邪魔する奴は、馬にけられて死んじまえっていうんですよといわれ、行けなかったのですがそれが意外にも、後になって、必要なことだったんですよね。かなり長くなってしまったので、

この続きは明日第二弾として書かせていただきますね。ではこの長々の分を最後まで付き合っていただきありがとうございました。またご意見や感想も教えていただければ嬉しいです。